メギド72 フォルネウスが好きな理由を考える

メギド72というゲームにおいて、キャラクター(性格や性質のこと)として一番好きなのはフォルネウスだと思っている。ちなみに見た目はサーヤサキュバス)やダゴンちゃんなどの方が好きだ。

以下からは、フォルネウスと呼ぶよりも慣れ親しんだ教祖という呼称を用いようと思う。私はカトルス教徒のため、名前を呼ぶなどとおこがましいためである。

 

以下では、なぜ教祖を好きだと思うかを記述していこうと思う。どうして今なのかといえば、来るべき2021/4/15(木)以降、リジェネレイトしたフォルネウスのストーリーによって印象が大きく変わる可能性が浮上したためである。

2021/4/12に公式のYoutubeチャンネルにおいて公開された動画 の中で、困ったような笑顔を浮かべる勝利モーションがあまりにも衝撃的すぎたためである。Cアンドラスのように勝利モーションはそれで独立しているだけで自身のキャラクターがぶれないのであれば問題ないが、Bサタナキアのように印象が変わってしまう可能性もあるかもしれない。

 

※C教祖のストーリー、メインストーリー8章以降のネタバレを含みます。

 

元々、メギド72を始めたきっかけはTwitterで見かけたとあるツイートによる。そこでは、教祖のストーリーの一部スクリーンショットが貼り付けてあり、激ヤバな奴が仲間にできる!みたいなことが書いてあったように記憶している。2018年末~2019年月初あたりだったか。

正確にはドキドキメギドの保健室あたりで明かされた魂に関する設定が面白そうだと興味を思っていたところに上述のツイートを見て始めたというのが正しい。

激ヤバな奴目当てで始めたので、引き直しガチャはもちろんカウンターを選び、シトリーと教祖から始めた。そのせいで未だにBフォラスはいない。

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図1. 召喚順にソートした際のメギド一覧.

 

わくわくを胸に個別のストーリーを読んだところ、非常に面白いキャラクターだということが分かった。

 

やっと本題である。

C教祖のストーリーを簡単に説明すると、平和な村の都会にあこがれる村長クンが甘言につられて村を発展させていくものの、強い光は強い闇を育て、最後は破綻して街は滅びていくといったストーリーになっている。村の生活の安定させるためにみんなから税金をもらって発展させていったものの、ほころびはあちこちで発生するしお金は足りなくて税金を増やすしかないし変な宗教団体ははびこって、最後はすべて破綻してみんな死んだ。凄惨凄惨。

村長クンに村の発展のためのアドバイスをしたのも、民衆を扇動したのも、怪しげな宗教の信者を街に引き込んだのも、村長クンを見捨てたのもわれらが教祖である。

このストーリー自体おもしろい破滅の物語だ。どことなくアークザラッドⅡのホルン村とギーア寺院のことを思い出したりもした。魔女vs村-宗教(きっかけは洗脳装置)と、悪魔-宗教vs村(きっかけは金)で若干構造は違う上、メギドの場合は悪い奴が主体であるが。

 

ここで、教祖は非常に興味深い発言を2つしている。

「真の幸福は死の先にある!魂を昇華させてこそ、幸福の果てに出会えるのだよ!」

「…まあボクは行ったことがないし、行きたいとも思わないけどね あくまでボクは導き手だからね」

(フォルネウス個別ストーリーより)

私はここで一気に教祖というキャラクターに引き込まれた。明らかに矛盾しているのである。ここで本人が意識的なのか無意識的なのか明確にはされていないが、私は「無意識的な自己矛盾」と受け取った。

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図2, 3. 無意識の矛盾.

私は、この「無意識の自己矛盾」は非常に人間くさいと思った。メギドという存在は、ヴィータとは比べ物にならないくらいに頭が良いという設定があるため、メギドは非常に理性的で論理的な存在なのだと思う。だからこそ矛盾をはらんでいる状態自体が人間的であり、メギドの魂がヴィータの体に融合した追放メギドの、魂由来の俯瞰的でヴィータとは異なる種であるという自意識と、体由来のヴィータ的感覚との間で発生する矛盾の発現に感じられた。

 

どこかのインタビューにおいて、開発運営が「追放メギドはメギドの魂がヴィータの器の影響で歪められていく」と言っていたが、私はそういった物語が面白いと思う。歪んでいくということは生をつなぐためのアポトーシスと言い換えても良いし、もっとポジティブにプリティー節に言い換えれば心の飛躍とも言っていい。心の飛躍の物語は美しい。

 

教祖は2020年までほとんどストーリーに登場しなかった。本編はおろかイベントもいくつか全員集合イベントでのみ、数口しゃべった程度である。2020年4月の「暴走少女と呪いのシナズ島」で突然出てきてびっくりしたが、イベントの中で教祖は他の全員集合イベントのようにシナリオの噛み砕き役の一人として、ソロモンが合理的な判断ができるよう誘導していた。

 

そんな中で彼のストーリーから教祖として説いているカトルス教の内容に興味を持った私はいつしかのメギド質問箱において無邪気に「カトルス教の教義を教えて!」などと書いた。

そしたらこんな目にあった。ありがとう。

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図4. 8章2節の一番最初のタイトル.

 

8章2節は、簡単に言えば教祖のストーリーの清算だ。カトルス教の教義と教祖の目的の詳細が明らかになった。脳の切片というパンチの効いた小道具も素敵だ。

教祖の目的は一貫して「ヴィータを救うこと」である。

 

メギドの生態は、集合意識である「彼の世界(カトルス)」から発生して、生物に寄生し、死ぬと「彼の世界(カトルス)」へと戻る。彼の世界へと戻るとき、情報を持ち帰り、彼の世界に評価される。評価されて初めて命に価値ができるというのが教祖の談だ。

 

話を戻して、「ヴィータを救うこと」は、ヴィータにとっての彼の世界の循環システムを作ることだと明かされた。

 

「それこそが、ハルマゲドンに対する最後の手段になるんだ 魂が「帰る場所」を作ることが 」

「「絶望」したよ この世界でボクらが死んでも、帰る場所なんかないんだ」

(8章2節より)

 

ちなみに、教祖の個別ストーリーの私が良い感じた矛盾する発言が補完され、一見矛盾がないように編集された。

「―生を費やした個の「情報」を持ち帰ることこそが、命の価値だ それを達成することが喜び――「真の幸福」なのさ」

ヴィータにとっての彼の世界… ボクはそこには行けないし、行こうとも思わないけどさ」

(8章2節より)

 

しかし、8章2節を通して、より教祖の人間くささが強調されたように思う。

・すべての命は高みから見えるただの「現象」として捉えているにも関わらず、彼の世界に返してあげたいとあるヴィータがいる

→このヴィータの女性は教祖にとっての血縁者なのか、恋人なのかは明確にされていないが、とても大切な人だと描写されている。教祖がこのヴィータを特別視することは、ただのメギド的執着なのかもしれない。しかし私はこの振る舞いの根源は無意識的な愛なのだと感じた。

2021年4月ごろ開催されたイベント「そして灯火は静かに消える」では、フォラスが家族への感情を愛と定義したが、それに近いものだったらと良いと思っている。

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図5, 6. 分かったわこれは愛ね.

 

 

ただし、私は教祖がそれを愛だと意識してほしくはない。私は教祖の無意識下の人間くささが好きなのだ。

 

・自分は上述の通りの評価はされない、自分の命に価値はないと理解しているにもかかわらず、ヴィータが帰るべき世界を作り、そこにソロモンが帰るとき、自分の存在そのものが大いなるシステムを構築する一部として価値のあるものになると思っている

ヴィータにとっての彼の世界をカトルスと名付けたことから、「評価されたい」という欲に対する執着なのかもしれない。ただ、かなわないとわかっている願いに縋りつくさまは理性的でない泥臭さあふれる振る舞いのように思える。

そして、教祖は自分が泥臭くないと思っている(秋ログインボイスより)点で、この泥臭さも無意識の矛盾なのではないかと思う。ログインボイスは若干プレイヤー世界とメギド世界の狭間の立ち位置があるが。

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図7. 秋のログインボイス.

 

というわけで、私は教祖というキャラクターが好きなのだと再認識できた。

無意識的な人間くささ、愛を抱えているところが好きだ。

 

余談だが、教祖のやりたいことは、ほぼすべて失敗した。そんなところも好きである。

降りかかった火の粉は払うと言いソロモンたちに立ちはだかったが倒され、捕縛された。

ヴィータにとっての彼の世界を作ろうとしていたが、教祖が手を加えるまでもなくすでに存在していた。追放メギドもそこにはいて、彼にとって大切であろう人も、すでにそこにいる。(そして教祖はヴィータの彼の世界に受け入れられることはない)

エクソダスを阻止しようと努力していたが、第1派が到達して、すべて成り損ないになった。

 

だからこそ、リジェネレイトフォルネウスの勝利モーションに抱いた不安は、自身の中の人間くささや愛を認識しないかどうか不安なのだということに気づいた。

そういえばソロモンに対する「親友」の定義に対して8章2節内で自己矛盾を突かれていた。言葉が先か後かわからないが、友愛であると本編で暴かれていた。

勝利モーション一つで…と思うかもしれないが、あの表情は友愛の現れなのかもしれない。無意識的な表情なのかもしれない。それでいこう。

 

というわけで、リジェネレイトフォルネウスのストーリーがどうなっているか気になる。

 

ガチャで引けるといいなーーーーーー!!!!!呼応召喚!!!!